日本でも有数な活火山である浅間山は、天明3年(1783年)の大噴火によって、現在の群馬県吾妻郡嬬恋村大字鎌原(かんばら)地区を村落、住民ともども火砕流によって埋没させ、日本のポンペイといわせしめた。当時、江戸では数種の瓦版がとぶように売れ、見出しには「朝間山大やけ…」とある。大やけとは、群馬県側のひとびとが噴火のことを【焼ける】といい、大噴火があったことを物語っている。 資料:浅間山夜分大焼之図 浅間山の天明大噴火を描いた古絵図・美斉津洋夫氏蔵
標高2568m、山麓には浅間の火山としての顔が窺えるダイナミックな景観が広がる。上部へ登るにつれて矮生化したカラマツの新緑と黄葉は見事である。5月のイワカガミやショウジョウバカマにはじまり9月のマツムシソウやオヤマリンドウまでおよそ20余種の高山植物が楽しめる。 周囲に高い山がない独立峰のため、360度の大展望は特筆できる。
古くから小説家や芸術家に愛された浅間山麓。島崎藤村、堀辰雄、などあげればきりがありません。軽井沢に集った詩的集団、建築家、画家、彫刻家、彼らがこの地域に残した文化と作品は、今でも多くの人々を惹きつけています。浅間山周辺に、美術館や文学館、歴史的建築物が多くあるのもうなずけます。